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大阪高等裁判所 昭和53年(う)488号 判決

本籍

韓国慶尚南道咸安郡咸安面鳳城洞

住居

大阪府八尾市堤町二丁目二一番地の五

会社役員

長原貞夫、長原良夫こと

張在煥

一九三〇年一一月二一日生

右の者に対する所得税法違反被告事件について、昭和五三年二月二日大阪地方裁判所が言渡した判決に対し、原審弁護人から控訴の申立があったので、当裁判所は次のとおり判決する。

検察官 辻本俊彦 出席

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人上原洋允、同吉野和昭、同水田利裕、同小杉茂雄作成の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。

一  控訴趣意第一点、事実誤認の主張について

(一)  脱税の犯意について

論旨は、原判示第一、第二の脱税につき、被告人に正確な脱税額の認識はなく、「もしかすれば脱税しているかも知れない」との未必の故意があったにすぎないのに、原判決が確定的故意を認定したのは、事実を誤認しているというのである。

よって検討するに、原判決挙示の証拠、特に大蔵事務官作成の被告人に対する昭和五〇年一一月一二日付質問てん末書によれば、被告人は原判示の各年度において、不況時や子供の将来に備え、あるいは事業拡張の資金とするため、売上の少ない得意先の売上除外、架空人件費の計上、手形割引料、貸付利息の簿外処理等の方法により、その所得を秘匿し、納税申告にあたっては、税理士の作成した仮決算書を自ら点検し、前年度の申告所得と対比して当年度の申告所得があまり過大あるいは過少にならないよう、仕入や外注の金額を操作し、所得金額を適当に調整して申告していた事実が認められ、これらの事実からすれば、被告人の本件脱税は意図的、計画的なものであり、各年度の逋脱額の正確な数額までは把握していなかったにしても、相当多額の脱税をすることについて明確な認識を有していたことは明らかであり、被告人の犯行が確定的故意によるものであることを優に肯認することができ、この点に関する原判決の認定は正当であって、所論の事実誤認はない。論旨は理由がない。

(二)  貸倒れ損失発生の有無並びに貸付金利息等の所得種別について

論旨は、被告人はねじ製造販売業と併せて無届ながら貸金業も営んでいたところ、昭和四八年度中に、三浦永次に対する金二、六〇〇万円、米井斉に対する金九〇〇万円、山下竜栄に対する金五〇〇万円、吉川勝弘に対する金二、三〇〇万円及び吉幸株式会社に対する金二七〇万円の各貸金が貸倒れとなり、右は被告人の事業所得の金額の計算上生じた損失であるから、総所得金額の計算上これを控除(損益通算)すべきであるのに、原判決が、被告人の貸金業による所得を雑所得とし、かつ右の貸倒れ損失の発生を認めなかったのは事実を誤認したものというのである。

そこで先ず所論の貸倒れ損失が発生したか否かについて検討するに、原判決挙示の証拠によれば、所論指摘の各貸金が昭和四八年度中には未だ貸倒れには至っていなかったことを優に認めることができ、記録を調査し、当審における事実取調の結果によっても右判断を左右するに足りない。すなわち、(1)三浦永二に対する金二、六〇〇万円の貸金について、所論は昭和四八年九月に貸倒れとなったと主張するが、大蔵事務官作成の三浦永二こと朴聲弼に対する質問てん末書によれば、同人が手形の不渡を出したのは昭和四九年一月一四日であり、同人は当時金融業と焼肉スッポン料理屋を営業しており、不渡を出したあと金融業は廃業したが、料理屋の方は営業を続け、昭和四九年三月には一部債権者と協議して毎月二〇〇万円ずつ返済することを約し、同年七月から二回各二〇〇万円、同年一一月から昭和五〇年一月までは毎月一〇〇万円を債権者委員会に支払っていたこと、大蔵事務官作成の被告人に対する昭和五〇年七月一九日付、同年一二月一三日付各質問てん末書及び被告人の原審公判廷における供述によれば、被告人は右貸付金に対する昭和四八年一二月末までの利息を現金で受け取っていること、不渡後も再三東京まで請求に行っていること、昭和五〇年一二月一三日当時なお債権放棄をしていなかったことが認められ、(2)米井斉に対する金九〇〇万円の貸金についても、所論は昭和四八年一〇月に貸倒れとなったと主張し、被告人は原審公判廷において、米井斉は昭和四八年暮に倒産し、すぐ所在不明になったというのであるが、原審証人米井斉の証言並びに大蔵事務官作成の被告人に対する昭和五〇年四月一四日付質問てん末書によれば、米井斉が手形の不渡を出して倒産したのは昭和四九年九月二日であり、同年夏近くまでは右借入金に対する利息を被告人に支払っていたこと、昭和五〇年七月一六日付確認書によれば、被告人は昭和四九年七月まで米井斉の依頼により同人のため手形の割引をしていることが認められ、(3)山下竜栄に対する金五〇〇万円の貸金について、所論は昭和四八年一二月に貸倒れとなったというが、原審証人山下竜栄の証言によれば、同人は昭和五〇年夏ごろまで金網加工業を営んでいたこと、大蔵事務官作成の被告人に対する昭和五〇年七月一九日付質問てん末書によっても被告人に対し昭和四九年一〇月まで利息を支払っていること、前掲確認書によれば、被告人は昭和四九年に入ってからも山下竜栄の依頼で手形割引を行っていることが認められ、(4)吉川勝弘に対する金二、三〇〇万円の貸金について、所論はこれも昭和四八年一二月に貸倒れとなったと主張するのであるが、その貸付日が、内一、〇〇〇万円が昭和四八年七月、五〇〇万円が同年九月、そして八〇〇万円が同年一二月というのであるうえ、大蔵事務官作成の堀川泰正に対する昭和五〇年六月一九日付質問てん末書によれば、吉川勝弘と手形や現金の貸借をしていた堀川泰正が、吉川から、同人振出、支払期日昭和四九年二月二八日、同年三月三〇日、同年四月三〇日、同年五月三〇日、額面各五〇〇万円の約束手形を借りて他で割引いていること、前掲確認書によれば、被告人自身、昭和四九年四月五日吉川の依頼により同人振出の三〇〇万円の手形を割引いていることが認められ、(5)吉幸株式会社に対する金二七〇万円の貸金についてみても、所論はやはり昭和四八年一二月に貸倒れとなったと主張するが、原審証人入出修二の証言並びに大蔵事務官作成の同人に対する昭和五〇年三月一日付質問てん末書によれば、吉幸株式会社が倒産したのは昭和四九年三月であり、倒産後同年五月と七月の二回に分けて合計七〇万円を被告人に弁済していること、大蔵事務官作成の被告人に対する昭和五〇年七月一九日付質問てん末書によれば、利息も昭和四九年二月分まで支払われていること、前掲確認書によれば、被告人は中村英二の依頼により、昭和四九年一月三〇日及び同年二月二四日にも吉幸株式会社振出の手形を割引いていることが認められ、これらの事実からすれば、所論の三浦永二ほか四名に対する各貸金が昭和四八年一二月末現在では、いずれも未だ貸倒れの状態には至っていなかったことが明らかであり、右認定に反し所論に沿う大蔵事務官作成の被告人に対する質問てん末書、原審及び当審公判廷における被告人の供述並びに原審証人堀川泰正の証言の各一部は、右認定に供した証拠に照らしてとうてい信用できない。そして所論の貸倒れ損失が認められない以上、貸付金利息等被告人の貸金による所得が、事業所得であるか雑所得であるかによって総所得金額の計算に差異を生ずるものではない。原判決には所論の事実誤認のかどはない。論旨は理由がない。

二  控訴趣意第二点、量刑不当の主張について

論旨は、犯行の動機、犯後の情状等に徴して原判決の量刑は重きにすぎるというのであるが、所論にかんがみ記録を調査し、当審における事実取調の結果をも参酌して検討するに、本件犯行の罪質、態様、とりわけ逋脱額が二期合計九、二六四万余円という多額にのぼっていることに徴すれば、被告人の刑責は重く、被告人が在日韓国人であるため、日本人の場合に比して、事業経営上、特に金融面で不利なことが多く、そのことが本件犯行の動機、原因の基礎にあること並びに査察終了後本件各逋脱年度分の所得についての修正申告を終え、正当な税額を現に分割納付中であり、またその後の年度においては税務を専門家にまかせ、適正な納税申告をしていることなど所論指摘の諸事情を充分斟酌しても、原判決の量刑は正当であって、これが破棄しなければならないほど不当に重いとは考えられない。論旨は理由がない。

よって刑事訴訟法三九六条により主文のとおり判決する。

昭和五四年一月一八日

(裁判長裁判官 瀧川春雄 裁判官 吉川寛吾 裁判官 西田元彦)

○昭和五三年(う)第四八八号

所得税法違反被告事件

控訴趣意書

被告人 張在煥

右の者に対する頭書事件について、弁護人は左のとおり控訴趣意書を提出する。

昭和五三年五月一一日

右弁護人 上原洋允

同 吉野和昭

同 水田利裕

同 小杉茂雄

大阪高等裁判所

第四刑事部 御中

第一、原判決には事実誤認の違法があり、右は判決に影響を及ぼすもので、破棄されるべきものである。

一、(一) 本件各公訴事実についての犯意につき、被告人には正確な脱税額についての認識はなかったものである。

被告人の意識としては「もしかすれば、脱税しているやもしれない」という未必の故意しかなかったものである。

(二) 本件についての争点の第一は、検察官において問擬する所得のうち、貸付利息等の貸金についての所得を雑所得としていることである。

被告人は当時ネジ製造販売業を営んでいたものであるが、これと併せ、継続して事業の目的でもって、金銭貸借を反覆継続していたものであり、これが主たる事業と何らの関連を持たなくとも、また営業免許を持たなくとも、事業としての実体を有する限りにおいては、これから生ずる所得は事業所得であり、雑所得ではないのである。

次に第二の争点は昭和四八年度における貸倒れ損失についてである。

被告人は昭和四八年においては後に詳述するように約六五〇万円也にものぼる貸倒れ損失を受けているものであり、これは当然当期の所得から差引かれるべきものである。

二、被告人の貸金についての所得は雑所得ではなく事業所得である。

(一) 事業所得か雑所得かは、検察官が指摘するように「各場合の具体的事実関係に基き、個別的に判断される」ものである。一般的には「利子所得、配当所得、譲渡所得のいずれにも該当しない所得であり、その年度中の総収入金額から必要経費を控除した所得」というのであるが、右のような一般概念からただちに引き出されるものではない。

(二) 被告人は当時、ネジ製造販売業を主たる事業としていたものであるが、一方貸金業務についても、これを従たる事業として営んでいたものである。

証人山田政夫も「書類を整理する上で、銀行関係の借入れとか、預金の状況、割引している手形の枚数、貸付金額、そういうものから判断していくと、ある程度人数は限定されているように思えたが、一般的にいわれる不特定多数に継続的に貸しているというふうに感じました」と供述している。

被告人は昭和四四、五年頃から第三者に金員を融通するようになったものであるが昭和四六年頃からは継続的に貸付けをしているものである。

貸付けの形態は全て「手割貸付」というものであり、振出人や裏書人の信用において割引いていたものである。金銭貸借にはおゝむね三種の形があり、その一は不動産貸付であり、主として不動産に抵当権を設定して貸付ける方法であり、その二は証書貸付けで貸付証書に保証人等を附して貸付ける方法であり、その三は、手形・小切手等の割引(売買)による方法である。被告人は主として手形割引という形態にて金銭を貸付けていたものであり、別途不動産を担保にしたり、保証人をたてさせたりはしていない。しかし、貸付けに際して、これがため借用証書なり契約書を作成していなかったり、保証人を設けないということでもって、この貸付けの形態が不自然であるとか事業としての体裁をとっていないとかの評価はできないものである。

現に被告人は昭和五〇年八月二一日株式会社大阪精機を設立し、その定款の目的にも「貸金業」を加えているものであるが、今もってその貸付の形態は手形割引であり、右貸付につき保証人を設けたり、不動産を担保にとったりはしていないものである。

また、貸付先は常に一〇名前後あり、知人、友人の紹介より貸付けるというものであったが、これも継続的に反覆して貸付けているもので、これをもって事業、営業というに支障はないものである。

また、利息についても、通常の金融業者よりも低い日歩五銭程度であったが、これはその貸付先が友人、知人やその紹介先であったがためと、相手先の窮状を理解してやっていたためである。

してみると、専従の従業員がいなかったこと、保証人を設けず契約書も作成しなかった等をもって、貸金業を営業目的としていなかったとはいえないものである。

(三) この点につき、証人久米敏幸は

「被告人はネジ製造業という事業を営んでおります。被告人が貸金業あるいは手形割引業を業としていたという点につきましては、貸金先が一定しております。知人とか友人、その点と認可を得ていないということと店舗ももたない、いわゆる事業の片暇において貸付または割引していたとそういう観点から判断しまして、利息も非常に普通のそれを事業所得とするならば利率が非常に安い、担保も有しておらない、そういうような全ての要素を判断して雑所得と判定したわけです。」と供述し、国税局の立場としては、被告人は(1)ネジ製造業という主たる事業があること、(2)貸付先が一定していること、(3)貸付業の認可を得ていないこと、(4)店舗をもたないこと、(5)利息が低利率であることを理由として本件所得を雑所得と評価したものであろうが、一方、

「(被告人が貸金業としての認可をとっておらなくとも、貸付先が特定じゃなくて金利も高かった、担保も取る分もあれば、取らない分もあったけれども、契約書を作成し、場合によっては公正証書を作成しておったというような場合であっても)本件の場合は(雑所得)になると思います。」

「被告人のネジ製造業を事業所得として認定したから、いわゆる貸金とか割引料はそれと関係のない雑所得として認定したわけです。」

とも供述しており、雑所得として認定したことの基準については不明確であり、一体何を基準にしたのか、査察官自体も理解していないようである。

所得が事業所得か雑所得かの区別は、当の所得者の当時の事業活動の実際から判断区分されるべきものであり、主たる事業があっても、これと併せて別個に事業を運営しており、しかもこれが営業の目的をもって、反覆継続されており、利益を得ているものであるならば、事業として認定してさしつかえないものである。従って、先程のそれぞれの基準は一つの判断資料となりえても、これをもって雑所得・事業所得の区別をすることは正しくないものである。

以上、被告人の本件貸金業としての所得は、雑所得ではなく、営業・事業所得として、その区分のうえで算出されなければならないものである。

三、被告人の昭和四八年度の所得からは左の貸倒損失を控除されるべきものである。

貸付先 貸付日 貸付金 貸倒年月日

(1)三浦永二 昭和四六年 金一、〇〇〇万円也 昭和四八年九月

昭和四七年七月 金一、〇〇〇万円也

昭和四八年七月 金六〇〇万円也

(2)米井斉 昭和四五年 金三〇〇万円也 昭和四八年一〇月

昭和四八年七月 金六〇〇万円也

(3)山下竜栄 昭和四五年 金五〇〇万円也 昭和四八年一二月

(4)吉川勝弘 昭和四八年七月 金一、〇〇〇万円也 昭和四八年一二月

昭和四八年九月 金五〇〇万円也

昭和四八年一二月 金八〇〇万円也

(5)(株)吉弘 昭和四八年一二月 金二七〇万円也 昭和四八年一二月

(一) 貸倒れということは、所得税基本通達によれば「会社更生法による決定により切捨てられる決定のあった金額、清算和議により切捨てられる決定のあった金額、債権者集会の協議決定で合理的基準により整理され切捨てられることとなった金額、債務超過の状態が相当期間継続し、その貸金等の弁済を受けることができないと認められ、その債務者に対して債務免除額を書面により通知した場合の債務免除額等」をいうのであるが、右は一応の具体的な基準にすぎず、これのみを貸倒れというものではないのである。

現実に債務者が債務超過の状態にあり、支払の見込めない客観的な事情の存するときは貸倒れと評価してさしつかえないものである。

一般的に中小企業・個人企業の倒産にあたっては、資金的にも破産手続・和議・会社更正法手続をとることは、事実上不可能に近い場合が多々あり、夜逃げ同然の有様で企業離散するのが実情である。

従って、法的手続をとるものでなければ貸倒れの認定ができないというのは実際を無視したものである。また、実際の倒産にあっては債権者集会を開催しない場合が多々ある。

これは倒産者に資産等があれば集会を開くメリットもあるが、夜逃げ同然にて姿を消した債務者が、何の資産も財産も残していない場合には、かかる集会も無意味となるからである。従って、債権者集会の有無、そこでの協議ということも一基準としか成り得ない。

またさらに、債務免除の意思表示も債務者の所在が明らかである場合は意思表示も到達し得るが、前記のように夜逃げをし、その所在が明らかでない場合には免除・放棄の意思表示もできないことになるものである。従って、右基準は一つの具体例にすぎず、結局「回収不能が客観的事実によって裏づけされる」ものならば、貸倒れと評価し得るものなのである。

(二) 被告人の三浦永二に対する貸付けは昭和四四、五年頃からはじまったものであるが、昭和四八年一〇月には手形の不渡を出して以降は全く元本はおろか利息も支払不能の状態にあるもので、被告人が強硬に再三再四催告するも何の支払もないものである。

負債総額も四億程はあるようであり、完全に「支払不能」の状態にあるものである。

被告人の米井斉に対する貸付けは、昭和三七、八年頃からはじまったものであるが、米井は昭和四八年初旬頃から資金繰りに窮していたもので、その後は支払利息も払えず、昭和四九年には資産もなく、債権者から姿を消して現在に至っているものであり、これも客観的に「支払不能」の状態にあるものである。

また、山下竜栄、吉川勝弘、(株)吉弘しかりであり、これらはいずれも破産宣告こそされていないが、その実体は「同時廃止」と同様であったものである。

被告人はいずれもこれらの者との間において、口頭ではあるが、三浦永二については昭和四九年一〇月三〇日に、米井斉については昭和四九年三月三〇日に、吉川勝弘については昭和四九年一月三〇日に、山下竜栄については昭和四八年一二月三〇日に、株式会社吉弘については、昭和四九年六月七日にいずれも債務の免除の意思表示をしているのであり、貸倒れとしての要件は十二分に具備しているものなのである。

第二、原判決は刑の量定が重きに失し、破棄されるべきである。

(一) 被告人には脱税の確定的認識はなく、あったとしても未必的認識・故意でしかなく。しかも「貸金」については意図的所為はみられないものである。

被告人には「多額の貸倒れ」のことが現にあり、決してこれがため利得しているとは考えてもいなかったことで、むしろ欠損がでているであろうと思っていた位である。

(二) 被告人は在日韓国人であり、あらゆる面において、いわゆる「金がたよりの世の中」であったわけである。被告人は金融機関から金員の融通を受けることもできず、事業の運転資金の捻出から個人の資金繰りに至るまで全て他人にたよることは出来なかったもので、自分が金を持っていなければ、結局日本では生きて行けない立場に追いやられていたものである。

ここにおいて、被告人は一円の金をも無駄に出来ず、金を残すことに終始しておったものである。これがため、いきおい本件の如き脱税ということになってしまったものであるが、その動機においては十二分に斟酌されるべきものがある。

(三) 既に修正申告も済んでおり、その税も税務署との話し合いにより分割ではあるが確実に履行していっているものである。

前記のように、国税局の査察完了後速やかに修正申告をなしているものである。

右は弁護人側で提出せる書証により明らかである。

尚、被告人は履行し得る最大限の範囲で国税局と話し合い、分割履行の約定をしたもので、決して履行し得るのにかたくないのである(月額金四、〇〇〇、〇〇〇円也の分割金支払)。

しかも、右は履行確保のため、差押等の処置は全てされているもので、その履行は全うされることは確実のものである。

被告人は再犯の虞れはない。

被告人は昭和四九年度からは全て税理面を税理の専門家である税理士にまかせ、以後現在に至るまで適正な申告をし、納税しているものであって、本件の如き所為を繰り返すことはないものである。

本件の如き各所為は前記のように被告人のルーズさから生じたものであり、右の如き、処置を完全にしている限り、再び生じるものではない、と断言できるところであろう。

この点は証人山田もかように供述するところであり、被告人の右の事柄については言明するところである。

(四) 被告人は現在みるべき財産の全てを差押えられ、もしくは失なったもので、現在の収入は修正申告の分割金を支払えば、自己の生計を維持するのがやっとの思いであり、この点は十二分に斟酌ありたい。

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